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『聖霊による生活セミナー』について

サヴィオ・マスカレナス著、「カリス・インディア」誌、2016年9月号から

 聖霊による生活セミナー(ライフ・イン・ザ・スピリット・セミナー、LSSと略す)は、聖霊による生活へと人びとを導くための、20世紀における重要な手段の一つとなってきました。またこれは、人びとをイエスに対する個人的な献身へともたらす、カトリック・カリスマ刷新における基本的な手立てとなってきました。
 「セミナー」という語の語源は、ラテン語の seminarium に由来し、それ自体、「種子の」を意味するラテン語 seminarius に由来し、「土地を耕す」もしくは「苗床を設ける」を意味しています。それゆえLSSは、種を蒔くために相応しいときとなるべきものであり、その種子とは、新しい参加者たちのあいだに蒔かれる福音の種であり、既存のメンバーのあいだでの福音化の種であります。
 このセミナーは、1971年に合衆国アン・アーバーの「神のことば契約共同体」によって開発され、世界中で広く用いられてきました。「このセミナーは、参加者たちがカリスマ的霊性の基本的な真理を十分に理解し、キリストへの意識的な献身を達成するのを助けてくれます」(カルメル修道会ドミニク・フェルナンデス神父『キリストの約束に基づいて立つ』)。ある人びとが示唆してきたように、LSSは、最初の4世紀のキリスト教の洗礼志願者養成コースや、ルネッサンス期からのロヨラの聖イグナチオの『霊操』と並んで、全教会に顕著な歴史的なインパクトを与えてきました。
 聖霊生活セミナーは、教会の刷新の脈略の中で、カトリック者のグループによって一般的に用いられています。このセミナーは、人びとを聖霊の働きのより深い体験と気づきへともたらすための、有効な道具であります。このセミナーは、福音の基礎的な提示と、ご自分に身を委ねる人びとの生活の中で働く主の御業についての根本的な教えを提供します。
 バート・ゲッツィ師は、『主と共に建てよ』の中で、このように述べています。「LSSは、初代キリスト教の洗礼志願者の生活に似ている。洗礼志願者の生活のように、その教育課程は聖霊における新しい生活へと人びとを導くものであり、それはさらに、キリスト教的成熟へ導くものである。両者はキリスト教入信の過程であり、それは同じような本質的要素を併せ持っている。すなわち、良きおとずれを宣べ伝えること、基礎的教え、霊における新生活をわがものとすること、およびキリスト教徒の共同体の中に組み込まれるといったことを含んでいる。」(邦訳、ヴェリタス出版社・1978年、114~115頁)
 このセミナーは、参加者が、イエス・キリストがあなたとの関係を確立し、再建し、あるいは深めようとなさる諸段階を歩み進めるのを助けます。入信の秘跡の恵みを体験したカトリック信者にとっては、イエスは、ご自身との新たな、より十全なかかわりを提供してくださるのです。聖霊の賜物は、私たちの生活全般を満たし、私たちを変容させるので、その結果として、私たちは神の愛とその救いの御業を知り、かつ体験し始めます。
 LSSでは、通常では1週間に1度、7週間にわたって、もしくは一定期間の週末にわたって行われる、1時間半ほどのセッションから成り立っています。

[第一講話・神の愛]
 「神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである」(ヨハネ3・16)。この愛の現われは、私たちの救い主イエス・キリストの生涯と死と復活のうちにあります。イエスは私たちに、この愛のうちに生きることができるように聖霊を送ります。「その方は、聖霊と火であなたたちに洗礼をお授けになる」(マタイ3・11)のです。

[第二講話・救いのみわざ]
 このセミナーにおいては、参加者は、一つの国(一つの生き方、一つの社会)から他の国へと移動するように促されます。「御父は、わたしたちを闇の力から救い出して、その愛する御子の支配下に移してくださいました」(コロサイ1・13)。

[第三講話・新しい命]
 神は私たちに、聖霊により、入信の秘跡を通じて、新しい命をお与えになります。これらの秘跡の力を発揮することを学ぶことは、聖霊の恵み深い賜物です。

[第四講話・神の賜物を受けるために]
 主は私たちに、その聖書によって、聖霊の賜物を受けるために私たちの心を十分に開くすべを教えられました。悔い改めと信仰によって、私たちは自分たちの生活の中で聖霊の御業に応答します。

[第五講話・聖霊の満たし(聖霊による洗礼)のために祈る]
 いまや参加者たちは、助けと励ましのうちに、キリストへのまことの献身を行いますが、聖霊による洗礼を求める祈りがこれに続きます。聖霊による洗礼は「人生を一変させる神の愛の体験です。聖霊によって父である神の愛が人の心に注ぎ入れられ、主であるイエス・キリストに自分のすべてを明け渡す決意を通してその愛を受ける、という体験です。」(国際カトリック・カリスマ刷新奉仕会教義委員会による『聖霊による洗礼』邦訳13頁)

[第六講話・聖霊のうちでの成長]
 祈りと学習と奉仕を通じて、ひとは日々、キリスト教共同体のなかにあって聖霊の賜物をたたえます。私たちがキリスト・イエスとの個人的なかかわりを深めるにつれて、聖霊はわたしたちをキリストの体のうちに結合します。

[第七講話・キリストへの変容]
 日々の生活のなかで解き放たれた霊の現存を通じて、ひとは徐々に、主との新しいかかわりによって変容されていきます。霊によって日々鼓舞され、活気づけられて、キリスト者は、現代世界のなかでキリストの体を築き上げるために聖霊の賜物を行使することによって、他者に奉仕するように自分の生活をささげます。

 国際カトリック・カリスマ刷新事務局(ICCRO、現在のICCRS)は、1985年に、セミナーの第8講話として「あなたがたはわが証人となる」を追加して、LSSのリーダー用手引きを発行しましたが、この講話は、「あなたがたがわたしを選んだのではない。わたしがあなたがたを選んだ。あなたがたが出かけて行って実を結び、その実が残るようにと、わたしがあなたがたを任命したのである」(ヨハネ15・16)というイエスのことばを参加者たちに思い起こさせるものです。
 LSSの目標は、参加者たちが、真実のキリスト者としての生活の基礎を築き、あるいは強化することによって、キリスト者としての新しい、より十全な生活を見出すのを助けるように設定されています。LSSの目標は、次のとおりです。
(一)参加者がキリストとの個人的な関係を確立し、再建し、あるいは深めるのを助ける。
(二)参加者たちがその生活の中で聖霊の働きに道を譲るのを助ける。
(三)参加者たちがキリスト者としての生活のなかで分かち合ったり支援を受けたりできるようなキリスト者の共同体やグループの一員となることによって、より十分にキリストに結びつけられるのを助ける。
(四)参加者たちが、キリストとのかかわりにおける成長の有効な手段を活用するのを助ける。
(五)参加者たちがキリストに従って、「人間をとる漁師」(マタイ4・19)になることによって、良きおとずれを宣べ伝えるのを助ける。
 祈りのグループを築くにあたってのLSSの重要性を挙げると、
① LSSは、福音化および再福音化の道具であります。それは、信仰者たちがイエスとの個人的なかかわりを深めることができるとともに、良きおとずてを無信仰者と分かち合うすぐれた機会を提供します。
② LSSは、福音化もしくは再福音化が命と献身をもたらすので、祈りのグループが燃え続けるのを助けます。
③ LSSは、参加者たちが彼らの生活の中での聖霊の働きに道を譲ることを助け、その結果として、祈りのグループ全体が聖霊で満たされることになります。
④ 病んでいる祈りのグループにとって一番の改善法は、徹底的なダイエット(規定食)を実行することです。LSSはその答えです。
⑤ ある人が言ったように、「私たちは水族館の管理者ではなく、人間をとる漁師であるべきです」。祈りのグループのメンバーは全員、他の四・五名のひとと良き知らせを分かち合い、その人たちをLSSに招くという目標を与えることによって「漁師」とされるべきです。パンフレットや旗じるしなどを配ることにメンバーたちをかかわらせるのもよいでしょう。
⑥ LSSが計画されるときには、執り成しのグループは、祈りのグループのメンバーを執り成しや断食にかかわらせることによって、セミナーのための執り成しを直接に始めなければなりません。全員が、LSSの成功のために毎日少なくとも一連のロザリオを唱えるように求められるべきでしょう。
⑦ セミナーを行うためには、しっかりしたLSSチームを作ること。小さな祈りのグループであれば、他の祈りのグループから援助してくれる人を連れてくることもできます。
⑧ 生き生きとした賛美と礼拝のための聖歌の実践には、音楽の奉仕活動が必要とされ、また、他の人びとが挨拶のミニストリー、奉仕のミニストリー、書籍販売のミニストリーなどに携わらねばなりません。
⑨ 新しく聖霊の満たしを受けた人びとのためには、具体化されたフォローアップ企画がなければなりません。祈りや親睦を支援する手だてがなければ、ある人びとは元の生活に立ち戻ったり、他の人びとは道からそれたり、何らかのセクトなどによって打ち負かされることもあります。
⑩ LSSのあとには、霊による成長セミナー(GSS)や、霊による成熟セミナー(WSS)が行われることも可能です。それらのセミナーの各々は、順番に、先行するものの上に成り立ち、同じような形式で進められます。
すべてのものが、聖霊の力によって営まれる生活の恵みによる私たちの成長にかかわっています。
※筆者は、1977年以来インドのCCRにかかわり、ゴアの奉仕チームの議長も務めたあと、現在は全国奉仕チームの副議長として活躍。『カリスインディア』誌に「霊に満たされて築く」シリーズを、すでに16回にわたって執筆し続けています。

「生ける水」2016年秋季号No.122に掲載された記事

「聖霊による生活刷新セミナー」の導き(小林有方訳)

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祈り

神に癒しとご保護を求める祈り


天のお父様、あなたはわたしを愛してくださっていますから感謝いたします。わたしを救い、解放するためにあなたの御子、わたしたちの主イエス・キリストを世に遣わしてくださったことを感謝いたします。わたしを支え、回復させるあなたの力と恵みに信頼いたします。愛するお父様、あなたの癒しの御手で今、わたしに触れてください。わたしが心、体、魂、霊において健やかであることがあなたのお望みであることを信じます。御子、わたしたちの主イエス・キリストのいとも尊き御血潮で頭の先から足の裏(つま先)までわたしを覆ってください。わたしの中にあってはならないものは何でも追い出してください。どうか不健康な細胞と異常な細胞を根絶やしにしてください。詰まった動脈と静脈を開き、損傷を受けた部分を再建し、継ぎ足してください。イエス様の尊い御血潮であらゆる炎症を取り除き、感染症を洗い清めてください。あなたがお造りになった本来のあり方でわたしの体が機能しますように、あなたの癒しの炎がわたしの全身を駆け巡り、あらゆる患部を癒し、一新してください。わたしの体と感情、そして心の最も奥深い部分に隠れた領域にも触れてください。わたしの全存在をあなたのご臨在、愛、喜び、そして平和で浸してください。そして、わたしの人生のあらゆる瞬間にあって、わたしをいつもあなたに引き寄せてください。そしてお父様、あなたの聖霊でわたしを満たし、あなたが望まれる務めを果たせますようにわたしに力をお与えください。わたしの人生によってあなたの尊い御名に栄光とほまれが捧げられるためです。この恵みを主イエス・キリストの御名によってお願いいたします。アーメン。

『今ここにある奇跡』(ボブ・カントン著、四谷祈りの集い訳)から抜粋

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祈り

心臓疾患、肺、腎臓疾患の癒しのための祈り

1 心臓疾患の癒しのための祈り

主よ、わたしの心臓にも触れてください。わたしはまた信仰によってあなたのいとも尊い御血潮をわたしの心臓のあらゆる部分、組織と筋肉、弁と動脈、血管、静脈に塗布いたします。イエスの力ある御名によって冠動脈疾患、狭心症、糖尿病、鬱血(うっけつ)性心不全、高血圧、心房性細動、不整脈、心臓弁膜症、心筋症(心筋ミオパチー)など心臓病の単一または2つ以上の原因、さらに他の特定できない原因が完全にいやされ、動脈の中のプラーク(血管壁の粥状の隆起)や血栓が溶けるように命じます。イエスの御名によって心筋の硬化がいやされ、心筋と電気伝導系が強化されるように命じます。心臓が全身に酸素の豊富な血液を送り込み、腎臓と体の他の部分の異常な水分の蓄積が完全に消失するように、イエス様の尊い御名によって命じます。血管系と体内のあらゆる「系」の神による浄化とまったく新しい心臓が創造される奇跡を宣言いたします。主イエス、感謝いたします。何故ならあなたの内に常に癒しと欠けることのない健やかさがあるからです。あなたの聖なる御名に感謝し、聖なる御名を賛美いたします。アーメン。

2 肺の癒しのための祈り

主よ、御言葉の中で(詩編139章13-16節)あなたが私の内臓を造り、母の胎の中で私を組み立てられた、と述べておられます。あなたを賛美いたします。何故ならわたしは驚くべきものに造り上げられているからです。あなたの御業はどれほど驚くべきものなのでしょうか!(同14節)主よ、今、私は願います。どうか私の肉体、特に肺を癒してください。イエス様の御名によって、慢性閉塞性肺疾患(COPD)、肺塞栓、嚢胞(のうほう)性線維症、肺気腫、喘息(ぜんそく)、気管支と肺胞の炎症、気管支炎、肺炎、肺水腫、急性呼吸急迫(急性呼吸障害)、肺高血圧症、胸水形成、神経筋疾患、塵肺(じんぱい)など肺疾患の単一または2つ以上の原因、またその他の特定不明の原因が完全にいやされるように命じます。主イエス、わたしは自分の肺のあらゆる部分をあなたのいとも尊い御血潮で浸します。主よ、まったく新しい肺をわたしにください。あなたは不可能を可能にされる神であられるからです。わたしはまた信仰によって、あなたの力強い癒しの御手、あなたが地上でまだ歩いておられた間、目の見えない人、耳の聞こえない人、重い皮膚病を患っている人、足の不自由な人、死んだ人に触れられたのと同じ御手をわたしの肺に当てます。イエス様、わたしの祈りをお聞き入れくださって感謝いたします。アーメン。

3 腎臓疾患の癒しのための祈り

主イエス、わたしが健康で、素晴らしい、正常に機能する腎臓を持つことはあなたのお望みです。どうか今、わたしの腎臓をあなたの尊い、癒しの力を持つ御血潮、あなたがカルワリオの丘の上に立つ十字架で流されたのと同じ御血潮で浸してください。また、わたしはわたしの腎臓が再創造され、新しくされるよう、信仰によりあなたの愛に満ちた力強い癒しの御手をわたしの腎臓に当てます。主イエス、あなたは創造的な奇跡を行われる神であられます。すべての栄光と誉れはあなたのものです。イエス様の御名により、糖尿病、高血圧、狼瘡(ろうそう)、多発性嚢胞(のうほう)腎、尿道炎、腎臓内の小さなフィルター(ネフロン、糸球体)、尿道の詰まりや機能不全、泌尿器が薬剤や化学物質に長期間にわたりさらされたことなど腎臓の機能不全や疾患の原因あるいは、あり得る原因が完全にいやされるよう、そして二度とわたしの腎臓を冒さないように命じます。わたしは腎結石のすべてが分解し、粉状になり、これを痛みや不快感なしに排泄(せつ)できるよう、あるいは腎結石が完全に消滅するように、イエス様の力ある御名によって命じます。神なる癒し主よ、聖霊のみ力によりわたしの腎臓が正常に機能するようにしてください。すい臓がわたしの体内でインスリンを産生し、血糖値が正常にまで下がり、わたしの免疫系がわたしの腎臓にいかなる害や損傷も起こさずに正常に機能することを、イエス様の力ある御名によって命じます。主よ、感謝いたします。今、わたしの腎臓を癒し、活性化させるためにあなたの神聖な力がわたしに触れつつあることを信じます。救い主であり、癒し主であるわたしの主イエス、あなたの御名を賛美いたします。

『今ここにある奇跡』(ボブ・カントン著、四谷祈りの集い訳)第18章から抜粋

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祈り

不妊症と流産の癒しのための祈り

主イエス、あなたは生命の創造主であられます。あなたは「ヨハネによる福音書」10章10節のみ言葉の中で、「わたしが来たのはあなたが命を受けるため、しかも豊かに受けるためである」とおっしゃいました。どうかわたしの配偶者とわたしを人類の子孫繁栄のためにお使いください。何故なら神のみ言葉にしたがって、あなたはわたしたちが「産み、増え」(創世記9章1節)ることをお望みだからです。主イエス、子宮内膜炎、不規則な排卵、卵子と精子のどちらか、あるいはその両方の量的・質的な乏しさ、多嚢胞(たのうほう)性卵巣症候群、輸卵管の詰まり、または損傷、精巣(睾丸[こうがん])の損傷など不妊症のありとあらゆる原因を癒してください。わたしはイエス様の力ある御名によって、イエス様の御血潮によって、わたしの配偶者、わたし自身、そしてわたしたち夫婦の血統に向けられた不妊と流産の呪いを破棄し、取り消し、それらを完全に無効なものとします。わたしはイエス様の聖なる御名の内に、無原罪の御(おん)宿りであり聖霊の浄配であるマリア様のご保護のマントを通じて、わたしの配偶者とわたしに妊娠の祝福を伝達します。主イエス、骨盤腔(こつばんこう)から異常な細胞も取り除き、小さな卵胞がより大きな、より成熟した卵胞へと発達し、卵子が適切に放出されるようにしてください。聖霊様、来てください。どうかイエス様の御名によって卵子と精子が受精・受胎し、正常で健全な胎児へと成長するように力を放ってください。主よ、あなたの愛の賜物と命の賜物を感謝いたします。これらのことすべてをイエス様の力に満ちた御名によって、神の偉大な母マリア様とマリア様の夫、聖ヨセフの取次ぎを通して願います。アーメン。

『今ここにある奇跡』(ボブ・カントン著、四谷祈りの集い訳)第17章から抜粋

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祈り

麻痺とその他の歩行障害の癒しのための祈り

主イエス、あなたの私に対する愛に信頼いたします。あなたの栄光と誉れのゆえに、あなたがわたしを再び歩かせてくださることを信じます。あなたがカファルナウムで足の不自由な人に、ベトサダの池で体の麻痺した人に御業を行われたように私にも御業を行ってください。あなたは不可能を可能にしてくださる神であり、空間や時間や距離に制約されないからです。イエスの御名により「中風の霊」と、脳梗塞、脳動脈瘤、頭部外傷、脊髄損傷、多発性硬化症など麻痺を起こす可能性のあるあらゆる原因とすでに判明している、あるいは特定不明の他の原因が完全にいやされるように命じます。わたしの肉体全体に回復と力を伝達いたします。私の脳が今までで最高のコンディションとなるように、信仰によってわたしはイエス様の力に満ちた生きた御血潮をわたしの大脳、小脳、白質、大脳辺縁系、 脳幹に塗布いたします。主イエス、わたしが歩けるようになるよう、聖霊様のみ力によってわたしの運動器系、運動皮質、神経、神経細胞、運動ニューロン、骨、関節、靭帯(じんたい)、筋肉とわたしの肉体のあらゆる箇所に触れ、生き返らせ、若返らせてください。イエス様の御名によってわたしはわたしの体に存在しているあらゆる痛み、疼痛(とうつう)、むくみに完全に消滅するように命じます。主イエス、あなたの御名によってわたしが歩けるようにわたしの体に力を注いでください。神の医師、主イエス、わたしの祈りを聴いてくださったことを感謝いたします。あなたの御名がわたしの癒しを通して崇められますように。アーメン。

『今ここにある奇跡』(ボブ・カントン著、四谷祈りの集い訳)第16章から抜粋

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祈り

聴力喪失とその他の耳の病気の癒しのための祈り


主よ、愛の発露としてわたしを創造してくださったことを感謝いたします。あなたはわたしを再創造することもおできになることを信じます。どうか聖霊のみ力によりわたしの両耳に触れ、聴力を回復してください。主よ、感染症や耳の構造上の問題、穴の開いた鼓膜、神経の損傷、外耳道の狭窄(きょうさく)、あるいはわたしが蒙(こうむ)ってしまったかもしれない肉体的な外傷など聴力を失う原因となっている単一または2つ以上の原因、あるいは私には未知の他の原因を癒してください。わたしの両耳のあらゆる部分、(内耳の)蝸牛、聴覚神経、三半規管、耳介(じかい)、外耳道、鼓膜、槌骨(つちこつ)、砧骨(きぬたこつ)、鐙骨(あぶみこつ)、耳管(じかん、エウスタキー管)を再生し、活性化し、これらに「いのち」を伝達してください。イエス様の御名によって、「聾(ろう)の霊」の権限をはく奪し、わたしから直ちに去るように命じ、両耳が開け、耳鳴りが止まり、耳鳴りが完全にいやされるように命じます。信仰によりイエス様のいとも尊い御(おん)血潮と癒しの御手をわたしの両耳のあらゆる部分に塗り、また当てます。癒し主であるイエス様、わたしの聴覚を正常化するために今なしておられる御業、これからなされようとされる御業に感謝いたします。あなたがわたしの癒しを通じてあがめられますように。これらのことすべてをイエス様の尊い御名によってお願いいたします。アーメン。

『今ここにある奇跡』(ボブ・カントン著、四谷祈りの集い訳)第15章から抜粋

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盲目とその他の眼病の癒しのための祈り

主イエス、あなたは私たちの心、体、魂、霊の癒し主であられます。あなたの内に欠けることのない健やかさと癒し、回復があります。どうかわたしの両眼をあなたの御(おん)血潮で、あなたがカルワリオの丘で流された同じ御血潮で浸してください。また二千年前にあなたがまだ地上をお歩きになられていた間、目の不自由な人々に触れられたように、聖霊のみ力を通して、わたしの両目に触れてください。イエス様の尊い御名によって、盲目の霊がわたしから去るように命じます。イエス様の御名において、イエス様の御血潮によって、わたしの瞳孔(どうこう)、水晶体、光彩、角膜、網膜、強膜、組織、視神経、血管、細胞が正常に機能し、わたしの両眼のあらゆる部分が最善のコンディションにおかれるように命じます。イエス様の御名により、眼球内の圧力(眼圧)が正常レベルにまで下がり、目の排水路が広がって分泌液がそこを流れ、黄斑(おうはん)が活性化し、若返り、正常に機能するように命じます。主よ、鮮明な中心視力も回復してください。イエス様の御名によってわたしの血糖値、血圧、コレステロール値が正常化するように、イエス様の御名によって命じます。わたしの両眼の完全な癒しを命じます。イエス様、わたしの祈りを聞いてくださり感謝いたします。わたしの癒しを通してあなたの御名が崇められますように。主イエス・キリストの聖なる御名を賛美いたします。アーメン。

『今ここにある奇跡』(ボブ・カントン著、四谷祈りの集い訳)第14章から抜粋

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祈り

癌、腫瘍、嚢腫(のうしゅ)の癒しのための祈り

天のお父様、私を愛してくださり、あなたの最愛の御(おん)ひとり子、イエス・キリストをお遣わしくださり、私の救い主、癒し主としてくださったことを感謝いたします。主イエス・キリスト、あなたのいとも聖なる、また、いとも力ある御名(みな)を賛美いたします。どうか私を憐れみ、私が犯した様々な罪とあなたの聖(きよ)い御名に栄光をお返しするためになすべきことをなさなかったすべてのことについてお赦しください。主よ、私の頭の先から足の裏〔つま先〕まであなたの尊い御(おん)血潮で覆ってください。聖書のイザヤ書53章に従い、信仰によってあなたの尊い御血潮を、すなわちカルワリオの丘であなたが十字架上で流された同じ御血潮を私の体の中のあらゆる臓器、あらゆる骨、あらゆる血管、そしてあらゆる「系」(訳注:消化器系、循環器系、呼吸器系、内分泌系、生殖器系、泌尿器系、中枢神経系、末梢神経系、血管系、リンパ系、運動器系、感覚器系)に直接、塗布いたします。イエス様の御名においてわたしの体の中のあらゆる癌細胞が破壊され、その痕跡がなくなるように強烈な「一撃」を起こすよう私の免疫系に命じます。私のキラー細胞、B細胞、T細胞にあらゆる癌細胞を食い尽くすよう命じます。また、私の全身にある全細胞、全臓器、すべての「系」、すべての骨、すべての組織に対してイエス様の御名によって、また聖霊の力によって「いのち」と「回復」を宣言します。イエス様の御名によって、イエス様の御血潮の力によって、あらゆる虚弱、あらゆる疾患、あらゆる恐れ、あらゆる重苦しさ、あらゆる束縛、あらゆる不安が私の肉体、心、そして霊から去るように命じ、体内の化学的・電気的・物理的波長がバランスと調和を保つことを命じます。イエス様の御名により、あらゆる形態の腫瘍、がん性腫瘍と異常増殖、嚢腫(のうしゅ)の権限をはく奪します。そしてこれらが消滅し、私の体から完全に去り、イエス様の十字架のふもとへ去るように命じ、私の所に舞い戻ることを禁じます。

私は私と私の体に対するあらゆる呪い、まじない・呪文、邪悪な願掛け、邪(よこしま)な願望、不吉な宣告、悪魔的なしわざを、イエス様の御名と御血潮によって破棄し、取り消し、その完全な無効を宣言します。イエス様の御名と聖霊様の力によって服用しているあらゆる薬剤が体内でどんな悪影響や合併症をきたすこともなく治療効果を発揮するように命じます。主イエス様、あなたが私にとって最善のみ業を成してくださることを承諾いたします。あなたの愛の力によって私を肉体的、感情的、精神的、霊的、心理学的に生き返らせてください。あなたの聖霊で私を満たし、私の人生のあらゆる瞬間にあって私があなたにもっと似た者となれますようお助けください。あなたの喜び、平和、完全無欠がいつも私に臨在していますように。私が頂いたあらゆる癒しが失われないように、イエス様の尊い御名と御血潮をもって信仰により私の体を封印いたします。主よ、私の癒しを通してあなたが崇められますように。この恵みを無原罪の御(おん)宿りであるマリア様のマントの中からイエスの御名によって願います。アーメン。

『今ここにある奇跡』(ボブ・カントン著、四谷祈りの集い訳)第13章から抜粋

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預言

マイケル・スキャンラン神父の驚くべき預言ー今日への緊急メッセージ

以下は、Renewal Ministries〔リニューアル・ミニストリーズ〕YouTubeチャンネル で私が今日分かち合った話の全文です 。私たちRenewal Ministriesは、この言葉の重要性と妥当性を考慮し、また私たち自身の生活の中でこのメッセージをどのように生きることを神が望んでおられるかをすべての人が思い巡らす必要を感じたため、この言葉を共有するためにあらゆる利用可能な手段を使用しています。

カトリック・カリスマ刷新の最初の大規模な国際会議が1975年にローマで開催され、閉会ミサのために1万人の人々が聖ペトロ大聖堂に集まったとき、来るべき時について非常に強い預言がいくつか発せられました。その時が来れば従来の社会構造はもう存在せず、主がこの時を使って私たちをご自身とのより深い一致へと引き寄せられる、というものでした。

<写真提供・Renewal Ministries>

一年後、マイケル・スキャンラン神父は別の預言をしました。この記事の最後に預言の全文を掲載してあります。私は最近、新著を執筆するためにいろいろ調べていてスキャンラン神父の1976年の預言を発見したのですが、読んでいて息が止まりそうになりました! それは重要であり、ロックダウン(都市封鎖)や教会に行けないことや経済的困難や社会的不安など、私たちが今体験していることに驚くほど共鳴しているからです。44年前に起きていなかったことが今日起きており、少なくとも部分的には実現しています。その中には少し怖いと感じる部分があるかもしれませんが、怖がらないでください。それは途方もない愛と途方もない希望に導いてくれるのですから。

ここには私たちのための知恵があります。ここには私たちにとって非常に妥当な教えがあります。以下、預言の各部分を見ていき、今日の出来事に照らして、その意味を検討していきます。太字は預言の引用です。

「人の子よ、あの都市が破綻するのを見ているか? あなたのすべての都市が破綻するのを見る覚悟があなたにはあるか? あなたが今頼りにしている経済システム全体が破綻し、金銭がすべて無価値になり、あなたを支えることができなくなるのを見る覚悟はあるか?」

コロナウイルスが本格的に流行し、株式市場が暴落し、米国や世界中で何千万人もの人々が職を失い、減給されたり解雇されたりした時、それはまさに正念場でした。私たちは何を頼りにしているのか、私たちの信頼はどこにあるのかが、問われたのです。

私はYouTubeチャンネルでいくつかビデオを作り、経済について私たちが抱いている不安 、健康について抱いている不安と恐れ について話し、主の約束に私たちの心を再び集中させようと呼びかけました。イエスは、「あなたの富のあるところに、あなたの心もある」(マタイ6・21)と言われます。私は聖フランシスコ・サレジオからも実践的な知恵をいくつか紹介しました。私たちの心がどこにあるかを見る方法、お金に関する不安や恐れにどう対処するか、また、まず神の国を求めるなら私たちに与えられるイエスのとてつもなく素晴らしい約束についてもお伝えしました。

「人の子よ、あなたの都市の大通りや町や施設の中に犯罪や無法を見ているか?」 

ちょうど昨夜のニュースで、私は米国のある町で起こった暴動を見ていました。ここに鍵があります。世界は揺さぶられようとしています。教会は揺さぶられます。揺さぶられるものは何でも揺さぶられる、と『ヘブライ人への手紙』には書かれています 。しかし、預言はこう続きます。

「私が自らあなたに与えようとする法と秩序と保護だけを見る覚悟はあるか?」

主は、私たちが完全な確信をもってご自分のもとに来ることを望んでおられます。まず神の国と神の聖性を求めるなら他のものはすべて加えて与えられるという完全な信頼をもって神のもとに行くのです。この世で生命を維持するために必要な食べ物、飲み物、住居、衣類だけでなく、混乱の中で、法と秩序が崩壊する中で、私たちに必要な保護も主は与えてくださいます。

「人の子よ、あなたが愛し、今祝っている国を、あなたが懐かしく振り返る一国の歴史を、あなたは見ているか?」

スキャンラン神父がこの預言を受けたのは、アメリカ合衆国建国二百周年の時でした。

「私があなたに私の体として与える国々だけを自分の祖国として見る覚悟はあるか?」

私たちの多くは、この国で起こっていることを憂慮しています。米国だけでなく、カナダや西ヨーロッパを含む世界中の多くの国でも同じです。ユダヤ・キリスト教の価値観を踏みにじろうとする攻撃的な世俗主義があり、キリストと教会を敵視し、私たちを罰し、私たちを逮捕し、私たちが社会的エリートに不快なことを言おうものならソーシャルメディアから追い出し、世界を支配して神の言葉を語ってほしくない場所では検閲しようとします。しかし、折が良くても悪くても私たちは神の言葉を宣べ伝える必要があります 。私たちには主の勇気が必要です。主の堅忍が必要です。私たちにはその勇気と堅忍を与えてくださる聖霊が必要であり、まさに今、聖霊との正しい交わりにとどまる必要があるのです。

これらのことはすべて聖書に書かれています! イエスは、この地上に私たちの住まいはなく、この地上に永続する都はないと言われます。使徒たちもそう言っています。「わたしの国は、この世には属していない」(ヨハネ18・36)とイエスは言われます。私たちの都は、すでにキリストの体の内に形成されつつある新しいエルサレムであり、それは終わりの日に天から下って来るのです。私たちが第一とする忠誠の絆、第一の家族は、キリストに結ばれた兄弟たちであることを知る必要があります。これは本当に重要です。

「私の体の中にある命、そこにだけある命を、私があなたにもたらすようにさせてくれるか?」

私たちはご聖体の中にあるキリストの体に目を向けている必要がありますが、互いと自分自身の中にあるキリストの体にも目を向けている必要があります。私はアナーバー市の「王であるキリスト・カトリック教会」に所属していますが、オンラインでミサに与っている間、主任司祭は、第二バチカン公会議ではキリストがご自分の民に現存される4つの方法について語られていると何度も説明してくれました。その4つとは、
1. 非常に特別な方法でご聖体の内に。
2. 司祭の人格の内に。
3. 神の言葉の内に。
4. キリストの体である私たちの体の内に。

『コリントの信徒への手紙一』6章には、私たちはイエスと共に一つの体、一つの霊であると書かれています。私たちは互いが同じ体の部分なのです。パウロがダマスコに向かう途中で回心したとき、天から彼に話しかけられた声は、「サウル、サウル、なぜ、わたしを迫害するのか」と言いました。サウルはキリスト者たちを迫害していました。サウルはキリストの体を迫害していたのです。イエスは、ご自身を私たちと同一視されます。イエスは、私たちの内に宿っておられる父と子と聖霊と一つです。私たちはこのことを宝として心に納め、大切にしなければなりません。もしある時、再びご聖体から切り離され、再び教会、物理的な教会から切り離されたとしても、私たちは覚えておく必要があります。イエスは私たちと共におられます。イエスは非常に強力な方法で御言葉の内におられ、互いの内におられ、そして私たちの魂を住まいとされる三位一体の内におられるのです。

「人の子よ、今は気軽に行けるあれらの教会が見えるか? 扉にかんぬきが渡され、釘が打ち付けられて閉鎖された教会を見る準備ができているか? 自分の人生をどんな特定の構造物にも頼らず、私だけに頼る準備ができているか?」 

私たちは自分の教会を愛しています。教会の建物を愛しています。何世代にもわたって家族が特定の教会に通っている人もいます。しかし、先進国の至る所で教会は閉鎖されつつあります。神に感謝、まだ閉鎖されていない教会と学校はありますが、多くの人にはカトリック学校に通う余裕がありません。カトリックの学校数は今でも以前よりはるかに少ないですが、さらに少なくなる時代に私たちは備えなければなりません。教会の建物も、今でさえ以前よりはるかに少ないですが、さらに少なくなる時代に備えておく必要があります。もうすぐやって来るその時に備えていなければなりません。それが災害によって来るにしてもそうでないとしても、世界で起こっていること、教会で起こっていることによって、確実に来るのです。それは来ています。私たちは、建物に依存せず、毎日私たちと共におられる主ご自身を私たちの生活の中心に改めて置く必要があります。教会の建物がまだそこにあることを感謝しましょう。私たちがそこでまだミサに与ることができる、このとても特別な祝福を感謝しましょう。しかし、キリストの体がご聖体だけに限定されていないことを私たちは忘れてはなりません。キリストの体は、主に結ばれた私たちの兄弟姉妹でもあるのです。

「私だけを頼りにし、あなたが一生懸命働いて育んできた学校や小教区などあらゆる施設に頼らない準備があなたにはできているか? 人の子よ、その準備ができている者であるようにと私はあなたを呼んでいる。」

私たちはその準備をする機会を与えられています。最近の教会の閉鎖や経済の混乱は短期間ではありましたが、小さな警告が与えられていたのかもしれません。いわゆる威嚇射撃のような小さな警告です。世界の構造は安定していません。

「それこそ、私があなたに伝えていることである。世の仕組みは崩壊し、変化している。今、あなたが詳細を知る必要はない。しかし、今までのようにそれらに頼ってはならない。あなたがたは皆、お互いにもっと深く献身してほしい。」

私たちは、近所のキリスト者同士で会う必要があります。職場でも、仲間のキリスト者に会う必要があります。キリストに結ばれた兄弟姉妹として私たちは共につながり始める必要があります。私たちは、カトリック教会が最初に持っていたような小さな家庭教会を持っている必要があります。カトリック教会が最初の300年間持っていたのは、そのような教会でした。家庭で兄弟姉妹が小さなグループとして集まっていたのです。迫害が終わるまではそれが教会の姿でした。私たちは再びこのような家庭教会を建て始めなければなりません。近所の人々との関係を築くことを始めなければなりません。イエスに結ばれた兄弟姉妹が誰なのかを知り、それ以外の方法では集まれない時に備えなければなりません。

「あなたがたには、互いに信頼し合い、私の霊に基づく相互依存関係を築いてほしい。この相互依存は贅沢品ではない。異教の世界の構造ではなく、私の上に自分の人生を築く人々にとって、それは絶対必需品である。」

私たちの文化の中でキリストを閉鎖しようとし、教会を敵視し、キリスト者を敵視し、神の言葉を敵視する世俗化の来るべき猛攻を生き延びようとしているのであれば、これは選択肢の一つではありません。キリストに結ばれた兄弟姉妹とつながっていることは、贅沢ではありません。イエスがここで言われているように、それは必須なのです。

「私は語った。そしてそれは起こる。私の言葉は私の民に伝えられる。彼らは聞くかもしれないし、聞かないかもしれない。私は各自の応答に従って応える。しかし、これが私の言葉である。」

聖書でもイエスは言っておられます、天地が消え失せるまでご自身の言葉から一点一画も消え去ることはない、と(マタイ5・18参照) 。

「人の子よ、自分の周りを見なさい。すべてが閉ざされるのを見るとき、当たり前だと思っていたものがすべて取り除かれるのを見るとき、そしてこれらのものなしで生きる準備ができているとき、そのとき、あなたはわたしが何を準備しているのかを知ることになるだろう。」

私たちは、すべてが閉鎖されるのを見たばかりです。まるで主が、「あながたがたにしるしが与えられるであろう」と言っておられたかのようです。そのしるしは44年間も起こりませんでしたが、今起こったのです。

あなたが準備できているなら、自分の生活でイエスを第一に置き、キリストに結ばれた兄弟姉妹を求め、互いに真の交わりを始めることで警告に応えているなら、警告はこう言います。「そのとき、あなたはわたしが何を準備しているのかを知ることになるだろう。」

ここで語られていることはすべて、神の愛によるものです。魂を目覚めさせるためには何が必要でしょうか? 私たちの自己満足や生温さ、神の物事への無関心、世俗性から私たちを揺り動かし、イエスに私たちの人生を再び集中させるためには何が必要となるでしょうか?

私たちが互いに交わりを保ち、敵対する環境の中でイエスの証人となるためには何が必要でしょうか? どうすればいいのでしょうか?

主は、できるだけ多くの人を目覚めさせるために必要なことをしてくださいます。ある者は注意を払い、ある者は耳を傾け、ある者は目を覚まし、ある者は準備を整えるでしょう。そして、そうしない者もいるでしょう。私たちが神の言葉に応えるか応えないかによって、結果は大きく異なるでしょう。こう言っているのはこの預言だけではなく、聖書も同じです。この預言は、聖書の中で常に語られている警告を現在にもたらしているにすぎません。イエスは、主人が帰って来る時に眠っていてはいけない、と言われます(マルコ13・35-36)。「主よ、主よ」と言う者が皆、神の国に入れるわけではなく、神の御心を行う者だけが入るのです(マタイ7・21)。

扉は、ある時に閉まってしまいます。恵みと憐れみの扉は主が再び来られる時に閉まり、恵みと憐れみに応えた者たちは御父の国に迎え入れられます。預言の警告に注意を払わなかった者、預言のしるしに注意を払わなかった者は、外に取り残されます。そこで彼らは嘆き、泣きわめき、歯ぎしりするでしょう。扉は閉まるのです。準備をしなさい。

マイケル・スキャンラン神父のこの預言で主は私たちに憐れみを示しておられる、と私は信じています。私たちの時代に成就しつつある預言だと思っています。私たちはこの預言を真剣に受け止めなければなりません。私たちは恐れの中で生きるのではなく、不安の中で生きるのでもなく、神の息子や娘たちの栄光ある自由の中で生きる必要があります。神の息子や娘たちは、御父に愛されていることを知っており、御父が摂理によって守ってくださり、何が起きても必ずそこから益をもたらし私たちを守ってくださると知っています。 ですから、兄弟姉妹の皆さん、私はこの言葉にワクワクしています。それは今日のための言葉、今の私たちのための言葉だと思います。それは、イエスや使徒たちが二千年も前から言っていることと何ら変わりません。目を覚ます時が来ました。お互いに歩み寄る時が来ました。外的なものに頼るのではなく、主ご自身に頼る時が来たのです。

主よ、預言の賜物が今日の教会で生きて働いていることを感謝します。マイケル・スキャンラン神父を与えてくださり、感謝します。私たちがこれらのことを一緒に話し、励まし合い、互いに高め合う機会を与えてくださり、感謝します。

マイケル・スキャンラン神父の1976年の預言

人の子よ、あの都市が破綻するのを見ているか? あなたのすべての都市が破綻するのを見る覚悟があなたにはあるか? あなたが今頼りにしている経済システム全体が破綻し、金銭がすべて無価値になり、あなたを支えることができなくなるのを見る覚悟はあるか?

人の子よ、あなたの都市の大通りや町や施設の中に犯罪や無法を見ているか? 私が自らあなたに与えようとする法と秩序と保護だけを見る覚悟はあるか?

人の子よ、あなたが愛し、今祝っている国を、あなたが懐かしく振り返る一国の歴史を、あなたは見ているか? 私があなたに私の体として与える国々だけを自分の祖国として見る覚悟はあるか? 私の体の中にある命、そこにだけある命を、私があなたにもたらすようにさせてくれるか?

人の子よ、今は気軽に行けるあれらの教会が見えるか? 扉にかんぬきが渡され、釘が打ち付けられて閉鎖された教会を見る準備ができているか? 自分の人生をどんな特定の構造物にも頼らず、私だけに頼る準備ができているか? 私だけを頼りにし、あなたが一生懸命働いて育んできた学校や小教区などあらゆる施設に頼らない準備があなたにはできているか?

人の子よ、その準備ができている者であるようにと私はあなたを呼んでいる。それこそ、私があなたに伝えていることである。世の仕組みは崩壊し、変化している。今、あなたが詳細を知る必要はない。しかし、今までのようにそれらに頼ってはならない。あなたがたは皆、お互いにもっと深く献身してほしい。あなたがたには、互いに信頼し合い、私の霊に基づく相互依存関係を築いてほしい。この相互依存は贅沢品ではない。異教の世界の構造ではなく、私の上に自分の人生を築く人々にとって、それは絶対必要なものである。私は語った。そしてそれは起こる。私の言葉は私の民に伝えられる。彼らは聞くかもしれないし、聞かないかもしれない。私は各自の応答に従って応える。しかし、これが私の言葉である。

人の子よ、自分の周りを見なさい。すべてが閉ざされるのを見るとき、当たり前だと思っていたものがすべて取り除かれるのを見るとき、そしてこれらのものなしで生きる準備ができているとき、そのとき、あなたはわたしが何を準備しているのかを知ることになるだろう。


[訳注](全て著者の許可を得たうえで作成した。)
1 マイケル・スキャンラン神父Fr. Michael Scanlan, TOR (フランシスコ会律修第三会)、1931-2017。ハーバード大学法科大学院修了。1964年司祭叙階。1975年-2000年、オハイオ州Franciscan University of Steubenvilleの学長、2000年-2011年、同大学総長を務める。大会講師、黙想指導、著作、T V司会などを通して世界中で福音を宣べ伝えた。
2 ラルフ・マーティンDr. Ralph MartinはRenewal Ministriesの創立者・会長。教皇庁立聖トマス大学(ローマ)で神学博士号取得。教皇ベネディクト16世より新福音化推進評議会の相談役、新福音化に関するシノドス(世界代表司教会議)の神学専門家に指名される。現在はミシガン州デトロイト大司教区の神学校大学院で新福音化プログラムの主任及び神学教授。妻のアンと共にミシガン州アナーバー市に在住。6人の子供と16人の孫に恵まれる。

[情報源] https://www.youtube.com/renewalministriesrm 動画 https://www.youtube.com/watch?v=2XnxThW3wq0
英語原文 https://www.renewalministries.net/wordpress/fr-michael-scanlans-amazing-prophecy-an-urgent-message-for-today/

[日本語訳および訳注・小熊晴代]

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聖性への招き