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聖霊降臨を迎える祈り

カリスと共に聖霊降臨を迎える1週間の祈り

英語の祈りは以下のサイトで見ることができます。イタリア語、スペイン語、フランス語、ポルトガル語版もこちらのサイトから選ぶことができます。

日本語版の聖書の御言葉は全て新共同訳によります。

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聖霊降臨の祭日を祝う準備として、聖霊が教会と世界にご自身を新たに注ぎ出してくださるよう共に祈る1週間をカリスは提案します。この祈りの参加者は、各自の環境に応じて家庭や聖堂で毎日最低15分個人の祈りをささげ、『聖霊に対する賛歌(Veni Creator Spiritus)』で締めくくります。この祈りの助けとして、毎日黙想する御言葉と短いコメントを以下に提示しています。加えて、毎日キリスト者の一致のために祈りましょう。どのように祈るかは、各自が聖霊の促しに従って決めることとします。

第1日 主の昇天(復活節第7主日)

*使徒言行録1・8、13〜14

「あなたがたの上に聖霊が降ると、あなたがたは力を受ける。そして、エルサレムばかりでなく、ユダヤとサマリアの全土で、また、地の果てに至るまで、わたしの証人となる。」

(……)彼らは都に入ると、泊まっていた家の上の部屋に上がった。それは、ペトロ、ヨハネ、ヤコブ、アンデレ、フィリポ、トマス、バルトロマイ、マタイ、アルファイの子ヤコブ、熱心党のシモン、ヤコブの子ユダであった。彼らは皆、婦人たちやイエスの母マリア、またイエスの兄弟たちと心を合わせて熱心に祈っていた。

*黙想

イエスは使徒たちに聖霊が来られることを約束されます。この約束は私たちへの約束でもあります。イエスの約束に応え、一同はマリアと共に心を合わせて祈り始めます。この心の団結は聖霊降臨に欠かすことができません。私たちを聖霊の到来に備えさせ、聖霊を私たちの元に引き寄せるこの一致と交わり、コムニオが与えられますように、聖霊ご自身に願いましょう。また、聖霊が私たちに託そうと願っておられるどんな使命にも取り組むため、自分の持てる全てを聖霊に献げましょう。

*キリスト者の一致を願う各自の祈り

*聖霊に対する賛歌(Veni Creator Spiritus) 『祈りの友』より

造り主の聖霊、来てください。
わたしたちの心を訪れ、あなたに造られたこの心を、
天の恵みで満たしてください。
なぐさめ主、いと高き神の賜物、
生きる泉、燃える火、愛と呼ばれるあなたは、
わたしたちに霊の油を注いでください。
七つの賜物の与え主、
御父の右腕として約束されたあなたは、
わたしたちの内に語ってください。
わたしたちの五官を照らし、
心に愛を注ぎ、弱いこの体を、
いつも強めてください。
敵を遠ざけ、平和をお与えください。
わたしたちを導き、
すべての悪を遠ざけてください。
わたしたちがあなたによって、御父とみ子を知り、
父と子から発せられる愛の息吹を
信じる恵みを与えてください。
父である神、よみがえられたみ子、
慰め主の聖霊に
とこしえに栄光。アーメン。

第2日 復活節第7月曜日

*ルカによる福音書 3・16、21〜22

ヨハネは皆に向かって言った。「わたしはあなたたちに水で洗礼を授けるが、わたしよりも優れた方が来られる。わたしは、その方の履物のひもを解く値打ちもない。その方は、聖霊と火であなたたちに洗礼をお授けになる。(……)」(……)民衆が皆洗礼を受け、イエスも洗礼を受けて祈っておられると、天が開け、聖霊が鳩のように目に見える姿でイエスの上に降って来た。すると、「あなたはわたしの愛する子、わたしの心に適う者」という声が、天から聞こえた。

*黙想

イエスは聖霊と火で洗礼を授ける方です。イエスの内には満ちあふれる聖霊が宿っておられるからです(ルカ1・15、ルカ4・1も参照)。イエスは御父に愛されている御子です。私たちも、この聖霊の火、この愛の火を願い求めましょう。私たちは、この愛に焼き尽くされて御父に愛されている子供になり、イエスの兄弟姉妹になる覚悟ができているでしょうか。

*キリスト者の一致を願う各自の祈り

*聖霊に対する賛歌(Veni Creator Spiritus)
第一日を参照

第3日 復活節第7火曜日

*ルカによる福音書 11・9〜13

「そこで、わたしは言っておく。求めなさい。そうすれば、与えられる。探しなさい。そうすれば、見つかる。門をたたきなさい。そうすれば、開かれる。だれでも、求める者は受け、探す者は見つけ、門をたたく者には開かれる。あなたがたの中に、魚を欲しがる子供に、魚の代わりに蛇を与える父親がいるだろうか。また、卵を欲しがるのに、さそりを与える父親がいるだろうか。このように、あなたがたは悪い者でありながらも、自分の子供には良い物を与えることを知っている。まして天の父は求める者に聖霊を与えてくださる。」

*黙想

聖霊を求めると与えられる、と私たちは信じているでしょうか。イエスは約束しておられます、「聖霊を求める人々の祈りは、わたしの父に頼る幼子のように御父の愛を確信する信仰によってささげられるなら、必ず叶えられる」と。ですから、他の人々のためにも、キリストに結ばれている全ての友のためにも、この信仰によって聖霊を求めることができるのではないでしょうか。

*キリスト者の一致を願う各自の祈り

*聖霊に対する賛歌(Veni Creator Spiritus)
第一日を参照

第4日 復活節第7水曜日

*ヨハネによる福音書 17・20〜23

「また、彼らのためだけでなく、彼らの言葉によってわたしを信じる人々のためにも、お願いします。 父よ、あなたがわたしの内におられ、わたしがあなたの内にいるように、すべての人を一つにしてください。彼らもわたしたちの内にいるようにしてください。そうすれば、世は、あなたがわたしをお遣わしになったことを、信じるようになります。あなたがくださった栄光を、わたしは彼らに与えました。わたしたちが一つであるように、彼らも一つになるためです。わたしが彼らの内におり、あなたがわたしの内におられるのは、彼らが完全に一つになるためです。こうして、あなたがわたしをお遣わしになったこと、また、わたしを愛しておられたように、彼らをも愛しておられたことを、世が知るようになります。」

*黙想

聖ヨハネはイエスの親密な祈りを私たちに明らかにします。ご自分を信じる人々が皆一つになるように、聖霊の交わりの中で御父と御子の間に存在するあの同じ一致によって一つになるように、とイエスは御父に願われます。イエスが祈られた完全な一致は聖霊の賜物であり、今を生きる私たちも力強く願い求めることができます。私たちの祈りは御子の祈りと一つに結ばれているので、神の御心に適うものです。

*キリスト者の一致を願う各自の祈り

*聖霊に対する賛歌(Veni Creator Spiritus) 
第一日を参照

第5日 復活節第7木曜日

*ヨハネによる福音書 16・7〜8、12〜15

「しかし、実を言うと、わたしが去って行くのは、あなたがたのためになる。わたしが去って行かなければ、弁護者はあなたがたのところに来ないからである。わたしが行けば、弁護者をあなたがたのところに送る。その方が来れば、罪について、義について、また、裁きについて、世の誤りを明らかにする。言っておきたいことは、まだたくさんあるが、今、あなたがたには理解できない。(……)しかし、その方、すなわち、真理の霊が来ると、あなたがたを導いて真理をことごとく悟らせる。その方は、自分から語るのではなく、聞いたことを語り、また、これから起こることをあなたがたに告げるからである。その方はわたしに栄光を与える。わたしのものを受けて、あなたがたに告げるからである。父が持っておられるものはすべて、わたしのものである。だから、わたしは、『その方がわたしのものを受けて、あなたがたに告げる』と言ったのである。」

*黙想

聖霊は真理の霊です。この方は私たちの罪について真理を語られますが、それは私たちを罪に定めるためではなく、私たちを回心と御父の限りない慈しみに対する信頼へと導くためです。聖霊の光を恐れないようにしましょう。聖霊に身を任せ、導いていただきましょう。そうすれば、私たち一人一人に限りなく注がれている神の愛という神秘に加えて私たちの兄弟姉妹一人一人にも限りなく注がれている神の愛という神秘を、聖霊は私たちに明らかにしてくださいます。

*キリスト者の一致を願う各自の祈り

*聖霊に対する賛歌(Veni Creator Spiritus)
第一日を参照

第6日 復活節第7金曜日

*ヨハネによる福音書 3・5〜8

イエスはお答えになった。「はっきり言っておく。だれでも水と霊とによって生まれなければ、神の国に入ることはできない。肉から生まれたものは肉である。霊から生まれたものは霊である。『あなたがたは新たに生まれねばならない』とあなたに言ったことに、驚いてはならない。風は思いのままに吹く。あなたはその音を聞いても、それがどこから来て、どこへ行くかを知らない。霊から生まれた者も皆そのとおりである。」

*黙想

私たちは新たに上から生まれねばならない、とイエスは言われます。聖霊を受けることは新たな誕生のようであり、心を改めることを意味します。これには肉の業から離れることも含まれています。私たちの生活には今も肉の業に支配されている部分があります。イエスの招いておられる回心を必要とするのはどの部分なのか、聖霊に願って示していただきましょう。聖霊から生まれる新しい命に入ることに同意しようではありませんか。

*キリスト者の一致を願う各自の祈り

*聖霊に対する賛歌(Veni Creator Spiritus)
第一日を参照

第7日 復活節第7土曜日

*ルカによる福音書 4・16〜19

イエスはお育ちになったナザレに来て、いつものとおり安息日に会堂に入り、聖書を朗読しようとしてお立ちになった。預言者イザヤの巻物が渡され、お開きになると、次のように書いてある個所が目に留まった。「主の霊がわたしの上におられる。貧しい人に福音を告げ知らせるために、/主がわたしに油を注がれたからである。主がわたしを遣わされたのは、/捕らわれている人に解放を、/目の見えない人に視力の回復を告げ、/圧迫されている人を自由にし、主の恵みの年を告げるためである。」

*黙想

イエスは、キリスト・油注がれた方・メシアです。聖霊に満ち満ちている御方です。私たちも聖霊に満たされていたいなら、イエスはその道を示しておられます。私たちは使命を託されて遣わされ、貧しい人、捕われている人、疎外されている人、圧迫されている人に仕える準備ができているでしょうか。共に主に願いましょう、この聖霊降臨を機として、多くのキリスト者が聖霊に自由に用いていただく場に身を置き、一致協力して兄弟姉妹に奉仕することができますように。

*キリスト者の一致を願う各自の祈り

*聖霊に対する賛歌(Veni Creator Spiritus)
第一日を参照