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教皇フランシスコ

私はカリスマ的な人々をある種のサンバの流派のようなものだと考えていた。

ブエノス・アイレスのカリスマ刷新の初めの頃には、私はカリスマ的な人々があまり好きではありませんでした。私はよく、「彼らは私には、ある種のサンバの流派のようなものだ」と考えていました。私は、彼らの祈り方や、教会の中に起こっている多くの新しいものを共有していませんでした。あとで、それらを知るようになって、終には、カリスマ刷新が教会のためにしていた全ての良いことに気付きました。そして、「サンバの流派」から始まったこの話には、予想外の結末がありました。すなわち、あのコンクラーベに入る数か月前に、私は司教会議によって、アルゼンチンにおけるカリスマ刷新のための霊的補佐役に任命されたのです。

(「イタリアの聖霊刷新全国大会の教皇フランシスコのメッセージ(2014/06/01)」の記事から 抜粋)

聖霊による刷新は、賛美の祈りの必要性と重要性を教会に気づかせてくれた。

賛美は、私たちにいのちを与える“息”です。なぜなら賛美は、神との親密さであり、さらに言えば、日々の賛美を通して成長する親密さです。
以前、これを説明する上でとても適切と思われる事例を耳にしました。人々が呼吸する方法です。呼吸には二つの段階があります。空気を出す「呼」と、空気を取り入れる「吸」です。霊的生活は、祈りで養われ、育まれ、ミッションを通して外面的に表現されます。私たちが祈りによって吸うとき、聖霊の新鮮な空気を受け入れます。この空気を出すとき、私たちは同じ霊によって復活したイエス・キリストを宣言します。誰も呼吸なしに生きることができません。キリスト者にとってもそれは同じです。賛美とミッションがなければ、キリスト者の生活は成り立ちません。賛美、礼拝は必要です。礼拝について言えば、ほとんど何も話されていません。祈るとき、私たちは何をするのでしょうか?私たちは神に何かを願い求め、私たちは神に感謝し、私たちは執り成します。しかし、礼拝、つまり神を崇めることは、キリスト者の呼吸の一部なのです。

聖霊による刷新は、賛美の祈りの必要性と重要性を教会に気づかせてくれました。私たちが教会で賛美の祈りについて話すとき、聖霊による刷新の信徒が心に浮かびます。サンタ・マルタ館でのミサの説教で賛美の祈りについて話したとき、私はそれが聖霊による刷新の信徒の祈りであるだけでなく、全教会の祈りであると言いました。その祈りは、神が私たちと全被造物に対して主権を持っておられることを認知することであり、ダンス、音楽、歌を通して表現されます。

<2014年10月31日、カトリック・カリスマ契約共同体友愛会の第16回国際大会での教皇フランシスコの挨拶の一部>

翻訳:カトリック聖霊による刷新全国委員会