カテゴリー
預言

マイケル・スキャンラン神父のもう一つの預言

ラルフ・マーティン|2020年7月13日

兄弟姉妹の皆さん、

私はラルフ・マーティンと申します。リニューアル・ミニストリーの会長であり、聖心大神学校で教えています。マイケル・スキャンラン神父を通して与えられた預言について私が最近解説した動画には大きな反響がありました。スキャンラン神父はステューベンヴィル・フランシスカン大学の学長を25年間務め、いろいろな意味で同大学を現在の米国随一のカトリック大学に導いた方です。

その動画を2週間足らずで15万4千人が視聴しました。これまでに、日本語、スペイン語、フランス語、イタリア語、ポルトガル語、ドイツ語の5言語に翻訳されました。文字通り世界中を回って、人々が感じていること、経験していること、見ていることを理解し、私たちが求められている応答を理解し、また主がこのことに手をかけておられることを理解できるようその動画は助けています。主はこのことを予め知っておられ、そこから良い結果をもたらす計画をお持ちですが、私たちは、主が招いておられる主ご自身との交わりとお互いの交わりを築く必要があります。私がその動画で強調したのはそこでした。まだご覧になっていない方は、ぜひご覧ください。(ここから視聴できます。)自分の耳でそれを聞くことは大切です。

私がその動画で言ったことについて、人々から質問がいくつか出てきました。一つは、「預言とは何ですか? マイク神父は預言の賜物を持っていた、とはどういう意味ですか?」です。私たちがよく知っているのは旧約聖書の預言者たちですね。エレミヤ、エゼキエル、イザヤ、それに小預言者たちのメッセージは今では正典として聖書の一部となっています。

一方、新約聖書の預言者もいることに多くの人は気付いていません。たとえば、『エフェソの信徒への手紙』4章ではパウロがこう教えています。天に昇って父のもとに帰られたキリストは、今や、使徒、預言者、牧者、教師、福音宣教者など指導者の賜物を教会に授けておられるが、それは指導者たちだけで教会のすべての働きをするためではなく、「聖なる者たちが奉仕の業に適した者とされ」るため、つまり洗礼を受けた私たちを助けるためである、と。当時のキリスト者たちは聖徒、聖なる者と自称していました。なぜなら、私たちは洗礼の水によって聖なる者とされ、主ご自身が私たちの内に宿っておられ、キリストにあって私たちは一つの霊、一つの体であるからです。私たちは聖霊の神殿ですから、私たち全員が持っている基本的な聖性があります。

これらの指導者の賜物は教会で極めて重要な働きをすることになっていますが、私たちはその中のいくつか、特に使徒や預言者にはあまり注目してきませんでした。公式の使徒として司教の位階制があり、公式の教師、牧者、福音宣教者として小教区を司牧する司祭がいますが、最も見落とされているカリスマ、奉仕のための賜物の一つが預言者の賜物です。イエスが実際に自己認識された主な姿、そして地上の公生活の間に他の人々に思われていたアイデンティティは、預言者でした。今ここですべて説明することはできませんが、私が最近執筆した『預言者としての司祭』という50ページの小冊子では、私たちがイエスと一致するとはどういうことかについて話しています。(ここから購入できます。)洗礼を受けたすべての人に関連していますが、特に司祭に向けて書かれています。司祭の預言者としての役割は、単に短くて良質で正統派の説教をするだけではありません。それ以上の何かがあるのです。人を燃え立たせる炎があります。これが新約聖書の預言者です。

アンティオキアの教会には預言者がいた、と新約聖書には記されています。バルナバやパウロをはじめ、様々な人たちが教師や預言者であったと書かれています。彼らが祈って断食していると、預言の言葉が与えられ、バルナバとパウロを選び出して宣教に遣わしなさいと言いました。このように、新約聖書の時代、初代教会には、預言の賜物を持つ人たちがいました。この預言の賜物は、未来を予告することが第一の役目ではありません。それはまず何よりも、神の計画と神の御言葉について洞察を与え、公の啓示で明らかにされていることに私たちを呼び戻すことです。このような預言をテストする方法の一つは、それが聖書と聖伝とカトリック教会のカテキズムで啓示された神の言葉と一致しているか確かめることです。

前回の動画で私が引用したマイク神父の預言は、イエスが聖書の中でいつも私たちに求めておられることに他なりません。イエスは、「自分の持ちものを一切捨てないならば、あなたがたのだれ一人としてわたしの弟子ではありえない」(ルカ14・33)と言われます。また、「一粒の麦は、地に落ちて死ななければ、一粒のままである」(ヨハネ12・24)と言われました。

さて、前回の動画について寄せられたもう一つの質問についてお話しします。「 『家庭教会(ハウス・チャーチ)』とはどういう意味ですか?」です。マイケル神父の預言によると、私たちは既存の体制・建築物に頼ることができなくなるかもしれません。私たちの知る小教区や学校は閉鎖の一途をたどっていますし、世界中で私たちの教会自体が3ヶ月間も閉鎖されるとは誰が想像したでしょうか? もしまた同じようなことが起きたら、私たちはどうすればいいのでしょうか? 私が皆さんに伝えたかったのは、初代教会は、その誕生から300年間、教会の建物を持っていなかったことです。信者たちは家庭で集まっていました。中庭や大きな家や小さな家で集まりました。そこで教会の命は滋養を与えられ、育まれ、教えを受け、そこで感謝の祭儀が行われていたのです。

また、様々な時代に、たとえば日本や韓国のような国では、司祭が追放され、恐ろしい迫害が起こりました。時には二百年もの間、司祭は入国も滞在も許されず、ミサも執り行われませんでしたが、信徒たちは互いにつながりを持ち、キリストに忠実であり、教えられたことを守り続けたため、宣教師が戻って来るまで教会を存続させていたのです。そのようなことにならないことを願っていますが、私たちは少しだけ警告を受けました。ひょっとしてそうなるかもしれないし、私たちは備えていなければならないのです。私たちと主との交わりは建物に依存するものではなく、建物はミサと同じくらい重要ですが、たとえミサを奪われても、イエスを奪われたわけではないことを私たちは知る必要があります。イエスは私たちの内に宿っておられ、御言葉を通して私たちのところに来ておられるのです。

さて、マイク神父からの最初の預言について、もう一つお伝えしたいと思います。預言の中でこのように問われていましたね。「あなたは自分の金銭がすべて無価値になるのを見る覚悟はあるか? あなたの愛する国がもはや国ではなくなってしまうのを見る覚悟があるか? あなたの教会が閉鎖されるのを見る覚悟ができているか?」と。私の答えを知りたいですか? 答えはノー、覚悟はできていません。私はここアメリカ合衆国の経済繁栄が好きです。私たちの教会が好きです。ミシガン州アナーバーの小教区を愛しています。教会の建物を愛しています。秘跡に頻繁に簡単に与れることを愛しています。住んでいる市が安定していることを愛しています。人々が911番に電話すると警察が来てくれることを愛しています。犯罪が起きても誰かがそこにいて罪のない市民とその営みを守ってくれることを愛していますし、無法行為が激発するのを見たくありません。警察の権威に裏打ちされていないという理由で電話に出るのを恐れている警察官は見たくありません。私はそのようなことは望んでいませんし、どれ一つとして受け入れる覚悟はありません。ちょうどイエスがゲツセマネの園で苦しみ悶えながら言われたのと同じです。「父よ、できることなら、この杯をわたしから過ぎ去らせてください。」でもその後、こう言われました。「わたしの願いどおりではなく、御心のままに。」

ですから、そこが私の行き着く先です。今言ったようなことが起こらないようにと願っています。それらが起こることを望んではいませんが、教会の清めのために必要であれば、世に衝撃を与え、「目を覚まして、あなたの偶像崇拝から離れ、主ではないものに執着しているすべてのものから離れ、あなたの不信仰から離れよ」と言うために必要であれば、それは魂の救いのためなので、私は覚悟して受け入れます。そして、一人の魂を救うためにはどんな手段も極端すぎるものではありません。教会が主の望んでおられるイエス・キリストの教会であるためには、どんな手段も極端すぎるものではありません。

マイク・スキャンラン神父のもう一つの預言を発見しましたが、これも私たちが注意を払う必要がある本当に重要な預言だと思います。それは先に紹介した預言よりも長く、ある特定の部分は特定のグループに向けられていますが、本当に今日的な意味を帯びていることがたくさんありますので、今しばらく時間をかけてマイケル神父のもう一つの預言について話したいと思います。

預言の全文は、私たちのウェブサイトに掲載されています。彼は1980年にこの預言をしましたが、それは先ほど話した預言の4年後のことです。これはかなり長いので、すべての部分を説明するつもりはありませんが、本当に今の私たちと直結する部分があります。預言は次のように始まります。

「主なる神はこう言われる。『私の言葉を聞け。私の祝福と賜物が際立った時は、今や、私の裁きと清めが際立つ時期に取って代わられようとしている。私が祝福と賜物によって成し遂げていないことを、私は裁きと清めによって成し遂げる。私の民、私の教会には、この裁きが何としても必要である。彼らは世の霊と姦淫を行い続けている。』」

率直に言って、先進国に住んでいる私たち、特に北米やヨーロッパに住んでいる私たちにとって、世界の歴史の中で私たちほど多くのものに恵まれた世代はありませんでした。第二次世界大戦が終わってからは、基本的に平和な時代になりました。医療技術は驚異的に進歩しました。あらゆる種類の技術が途方もない進歩を遂げてきました。私たちは繁栄を謳歌してきました。私たちは平和を保ってきました。私たちの大方の国々では安定が維持されてきました。私たちはとても恵まれています。私たちは豊富な食料を持っています。私たちは計り知れないほど祝福を受けてきたのです。

そして、こう言うと本当に奇妙ですが、本当に真実です。私たちの国々でカトリック信者がより多くの教育を受ければ受けるほど、彼らはますます信じなくなるのです。アイルランドのようなカトリックの国が繁栄すればするほど、彼らはますます信じなくなり、イエスに従わなくなります。私たちの繁栄は主からのとてつもない祝福ですが、私たちの多くはその繁栄に対してこう応えてきました。「私たちは物事をコントロールできている。必要なものは手に入れた。神は必要ない。」

祝福、平和な時代、良質な食べ物、医療技術など、他にも国の基本的な安定のために必要なものすべてについて神に感謝するよりむしろ、私たちはそれらを当たり前のように受け止めてきました。残念なことに、私たちの多くは流されて、世と妥協し生温い生き方に甘んじています。この預言で、「世の霊と姦淫を行い続けている」と言われているとおりです。

預言はこう続きます。「サタンは行きたい所に行き、思いどおりに人を選んで感染させている。サタンは、私の民のどこにでも自由に出入りしている。私はこれを許さずにはおかない。」残念ながら、私はずっと前からこのことに気づいていました。『エフェソの信徒への手紙』6章を読むと、私たちが直面している霊的な戦いについて書かれています。「わたしたちの戦いは、血肉を相手にするものではなく、支配と権威、暗闇の世界の支配者(……)を相手にするものなのです」とパウロは言っています(エフェソ6・12)。

続いてパウロは、霊の暗闇と霊的な戦いと霊的な攻撃に対抗するためには、私たちが神の武具で完全武装する必要があると説きます。すなわち、救いの兜、聖性と義の胸当てを身につけ、特に信仰の盾を取って悪い者の放つ火を消すように勧めます。兄弟姉妹の皆さん、その悪い者は今日、地の面にいるすべての人に火の矢を放っています。ですから、私たちが信仰の盾を取らなければ、格好の標的として騙されてしまいます。私たちが信仰という盾にしっかり根差していなければ、サタンは私たちの生活にも精神にも魂にも感情にも行動にも入り込んで自由に操ろうとするでしょう。

信仰の盾とは何でしょうか? イエスご自身です。イエスに信頼し、同時にイエスが実際に教えておられる御言葉の知識に信頼することです。『ヘブライ人への手紙』には、イエスは御自分を信じる人々の救いの源であると書かれています(ヘブライ5・9)。イエスの御言葉を知らなければ、私たちは何をすべきか、どのように行動すべきか、何を信じればいいのかが分かりません。今日、多くの人がイエスに従っていると言っていますが、イエスが何を言っておられるのかに注意を払っていません。

ピーター・クリーフトは『イエス・ショック(Jesus Shock)』という本を書いていますが、イエスの言うことは本当に衝撃的です。私が話したマイク神父の前回の預言は、「これらすべてを手放す覚悟ができているか? これらなしで生きる準備ができているか?」と呼びかけていました。とても過激に聞こえますが、これは、イエスが福音書ですべての人に言っていることと同じです。「自分の持ち物を一切捨てないならば、あなたはわたしの弟子としてふさわしくない」とイエスは言われます。

過激です。衝撃です。イエスは私たちにショックを与えて現実を直視させようとしておられます。私たちにショックを与えて健全な者に回復させようとしておられます。私たちを聖性と愛と永遠の命に目覚めさせるために衝撃を与えておられるのです。もし私たちがイエスの御言葉に注意を払わなければ、御言葉に耳を傾けなければ、私たちは真のイエスに従っていません。預言の役割は、私たちに福音を思い出させることです。預言は私たちにキリスト教の核心を再認識させます。それは常に悔い改めへの呼びかけであり、初めの愛に戻ること、契約に対する忠実に戻ることです。これらの預言はそれ以外のことは付け加えていません。ただこう言っているのです。「今こそ重大局面であり、私たちは今こそイエスに注意を払う必要がある、すべてはそれにかかっているのだから。」

1980年のマイク・スキャンラン神父の預言の続きを見てみましょう。

「彼らは、私への恐れや私の言葉に不忠実であることへの恐れから物事を決定する以上に、他人からどう思われるかという恐れ、つまり世で失敗し拒絶されることへの恐れ、隣人や目上の人や周囲の人の尊敬を失うことへの恐れから、物事を決定している。それゆえ、あなたがたの立場は極めて弱い。あなたがたの力はとても限られている。今の時点では、あなたがたを今起こっている戦いや争いの中心にいる者たちと考えることはできない。」

兄弟姉妹の皆さん、厳しいようですが、戦争が起きていることをあなたが知らなければ、霊的な武具をあなたが身に着けていなければ、おそらくあなたは敵に捕らえられ、すでに敵側の欺瞞と嘘と偽りと反逆の作戦の手先になっています。しかもそのことを自覚していません。今こそ目を覚まし、神の御言葉に従って自分の生き方を本当に吟味し、もし闇の王国にいつのまにか陥っていたのならそこから解放され、神の愛する御子の王国に戻る時です。それは、「悔い改め」と呼ばれています。

そして、預言はこう続きます。

「だから今、この時があなたがた全員の上に来ている。これは裁きと清めの時である。罪は罪と呼ばれるようになる。サタンは仮面を剥がされる。忠実は本来あるべき姿として掲げられる。 私の忠実な僕たちが姿を現し、集まって来る。彼らの数は多くはない。それは困難だが必要な時となる。」

ここで数の話をさせてください。神はいつも、御自分の呼びかけに目覚めた少数の人々を通して働かれます。ギデオンを覚えていますか? 主は、「ギデオン、あなたに敵を打ち負かしてほしい」と言われました。するとギデオンは応えます。「私の一族はイスラエルで最も貧弱な者で、私も家族の中で一番年下です。」すると主は言われます。「私があなたにこれをするように呼んでいるのだ」(士師6・14-16参照)。ギデオンが軍隊を集めると、主は言われます。「多すぎる。これでは自分がやったとあなたは思うだろう。だから、人々を帰らせなさい。栄光が私に帰されるように、あなたは私がこれから行うことを見ていなさい」(士師7・2-8参照)。

時々、エリヤのような人がこう言います。「あなたの命令に従おうとしています。イスラエルを呼び戻すのは大変です。私一人だけが残されました。」すると主は言われます。「実は今、あなたと同じように偶像を拝まず、バアルにひざまずいていない人が7,000人いる」(列王上19・14-18参照)。

ですから、私たちは時々、自分たちが一握りしかいないように感じますが、実際にはそうではありません。全体で見ると少数かもしれませんが、主が用いて働いてくださるには十分すぎるほどの数なのです。だから、数のことは気にしないでください。主に同調しているかどうかを心にかけなさい。霊的な武具を身につけることについて気を配りなさい。

「それは困難だが必要な時となる。世界中で崩壊が、困難があるだろう。しかし、もっと問題なのは、私の民の間で清めと迫害が起こることだ。」

そして、次に重要な部分があります。「あなたがたは、どの言葉に従うか、誰を尊敬するかを選ばなければならなくなる。」

預言者エリヤはある時、イスラエルの民に言いました。「あなたたちは、いつまでどっちつかずに迷っているのか。主とバアルのどちらに従うかを決める時が来たのだ」(列王上18・21参照)。

主は私たちに同じ問いを投げかけておられます。「あなたは誰に従うつもりか? 誰を信じるのか? 誰を敬うのか?」 あなたが従い、信じ、敬うのは、神の真の御言葉をカトリック教会と『カトリック教会のカテキズム』が私たちに教えている通りに伝えている人たちでしょうか? あなたは、教会が教えていることから選り好みするつもりですか? イエスが聖書で言っておられることの中から選別し、好きな部分だけ拾いますか? それは、反逆です。不貞行為です。自分自身の宗教を作ることです。それは、自分自身にかたどって神を造ることです。

ある日、私はイエスが言われる厳しい事柄について話していました。兄弟姉妹の皆さん、私も皆さんと同じように厳しい挑戦を突きつけられています。私はこのような恐ろしいことが起こって欲しくありませんが、もし私たちを清め、私たちが本来いるはずの場所に私たちを導き、より多くの魂が救われるようにするためにそのようなことが起こる必要があるのなら、私は覚悟して受け入れます。ある日、私はイエスが人類は二つに分けられると話されたことのいくつかについて話していました。それは、救われる者と失われる者、穀物ともみ殻、天国と地獄などについてでした。その話の後、一人の女性が私のところにやって来て、こう言いました。「私のイエスならそんなことは決して言いません。」

それを聞くのは本当に辛かった。彼女は自分自身にかたどってイエスを造っていたからです。彼女は偶像を造っていたのです。私たちの誰一人、偶像を造リませんように。私たち全員が唯一の真の神、唯一の真のイエスの前にひれ伏し、その教えの中で私たちが自分の都合に合わせて選り好みしてきたことを悔い改め、イエスの教えをすべて受け入れますように。私たちが理解できないことについては、神に理解力を与えてくださるように願いましょう。そのように生きることができないと思ったら、それを生きる力を与えてくださるように神に頼みましょう。

「あなたがたは、どの言葉に従うか、誰を尊敬するかを選ばなければならなくなる。そして、その選択の中で、祝福と賜物の時までに成し遂げられなかったことが成し遂げられるであろう。私の霊による洗礼と霊的賜物の満ち溢れによって成し遂げられなかったことは、火の洗礼によって成し遂げられる。火はあなたがたの間を動き回り、もみ殻を焼き尽くす。」

これが、福音です。これこそ、洗礼者ヨハネがイエスを紹介するときに言ったことです。「わたしは、その履物をお脱がせする値打ちもない。その方は、聖霊と火であなたたちに洗礼をお授けになる。そして、手に箕を持って、脱穀場を隅々まできれいにし、麦を集めて倉に入れ、殻を消えることのない火で焼き払われる」(マタイ3・11-12)。

神の愛の火、神の裁きの火、神の清めの火。すべては善のためです。神は私たちをご自身に引き寄せようとしておられます。しかし、正直なところ、それは厳しい愛であり、神は私たちの注意を引くために、私たちを救うために、厳しい愛を使わざるを得ないのです。

「賜物と恵みと祝福を不忠実と罪と売春と混ぜ合わせるという姦淫を行うことを私は許さない。私の時は今、あなたがたの間にある。あなたがたに必要なのは、私の前に進み出て、私の言葉に完全に服従(……)することである。(今がそうする時である。)犠牲者が出るだろう。容易ではないが、必要である。」

それは魂の救いのために必要であり、教会の清めのために必要です。私たちが欺瞞と束縛から解放されて神の子として栄光ある自由を手に入れるために必要なのです。神は私たちをとても愛しておられるので、このような言葉を語っておられます。神は私たちをとても愛しておられるので、イエスが聖書の中で言われたこと、教会が『カトリック教会のカテキズム』の中で教えていることを私たちに思い出させようとしておられます。それに応えていきましょう。神に助けを求めましょう。

・・・・

私たちは今年、リニューアル・ミニストリーとして40周年を迎えました。40年間、私たちはこのメッセージ、福音のメッセージを伝えてきました。私たちは現在EWTNで最長寿番組となるカトリックのテレビ番組を35年間放送しています。カトリックのラジオ番組も毎日2本放送しています。宣教活動は40カ国以上で行っています。無数の小冊子、書籍、DVD、CD、MP3、MP4を出版してきました。ここ数ヶ月の間にYouTubeチャンネルを充実させてきましたが、主はそれを大きな方法で用いておられます。フェイスブックでも存在感を示しています。

私たちは、イエスが私たちに語られていることをそのまま映し出す明確な声、忠実な声であろうと努めています。個性豊かな講師陣がただイエスの語っていることを伝えるのではなく、イエスの言葉に伴う聖霊の油注ぎも伝えようとしています。この聖霊の油注ぎをイエスはすべての人々に差し出しておられると私たちは信じているからです。

経済的動揺や封鎖など、いろいろあったこの時期、私たちの支援者の中には、これまでのように私たちを支援できないでいる人もいます。皆さんの多くが不安定な経済状態に直面していることを私は知っています。多くの皆さんが小教区で非常に価値のあるミニストリーを支援していることを私は知っていますし、皆さんが行っていることから何かを奪おうなどとは思っていません。しかし、もし私たちに譲ってくださる余分なパンくずを持っているのであれば、もし今この時に主があなたを何らかの形で豊かに祝福しておられるのであれば、主が私たちを呼び出して行うようにと言われたことを続けることができるようにそれを分かち合ってくださるならば、私は本当にありがたく思います。

支援してくださる方は、https://www.renewalministries.net/donation-options-at-a-glance/にアクセスをお願いします。あなたができることは何であれ、私たちが今していることを続けていくのに役立つでしょうし、より良く、より多くのことをしていくのにも役立つでしょう。

私たちと共にいてくださり、本当にありがとうございます。イエスに従ってくださってありがとうございます。この言葉を他の人々にも伝えてくださることを感謝します。アーメン。

[日本語訳・小熊晴代。聖書の言葉はすべて新共同訳より引用。]

原文リンク: https://www.renewalministries.net/another-prophecy-from-fr-michael-scanlan/

「私の言葉を聞け」 マイケル・スキャンラン神父を通して1980年に与えられた預言

リニューアル・ミニストリーズ・スタッフ|2020年6月22日

マイケル・スキャンラン神父を通して与えられた以下の預言は、ニュー・カヴァナント誌1980年5月号にケビン&ドロシー・ラナガン夫妻が執筆した記事で共有されました(リンク先の769-772ページを参照)。

主なる神はこう言われる。「私の言葉を聞け。私の祝福と賜物が際立った時は、今や、私の裁きと清めが際立つ時期に取って代わられようとしている。私が祝福と賜物によって成し遂げていないことを、私は裁きと清めによって成し遂げる。

私の民、私の教会にはこの裁きが何としても必要である。彼らは世の霊と姦淫を行い続けている。彼らは罪に感染しているだけでなく、罪を教え、罪を受け入れ、罪を見くびっている。彼らの指導者たちは、これに対処できていない。教会の上から下までいたるところで分裂と混乱がある。サタンは行きたい所に行き、思いどおりに人を選んで感染させている。サタンは、私の民のどこにでも自由に出入りしている。私はこれを許さずにはおかない。

この刷新で特別に祝福された私の民は、私の洗礼の霊の下にいる以上に世の霊の下にいる。彼らは、私への恐れや私の言葉に不忠実であることへの恐れから物事を決定する以上に、他人からどう思われるかという恐れ、つまり世で失敗し拒絶されることへの恐れ、隣人や目上の人や周囲の人の尊敬を失うことへの恐れから、物事を決定している。

それゆえ、あなたがたの立場は極めて弱い。あなたがたの力はとても限られている。今の時点では、あなたがたを今起こっている戦いや争いの中心にいる者たちと考えることはできない。

だから今、この時があなたがた全員の上に来ている。これは裁きと清めの時である。罪は罪と呼ばれるようになる。サタンは仮面を剥がされる。忠実は本来あるべき姿として掲げられる。 私の忠実な僕たちが姿を現し、集まって来る。彼らの数は多くはない。それは困難だが必要な時となる。世界中で崩壊が、困難があるだろう。

しかし、もっと問題なのは、私の民の間で清めと迫害が起こることだ。あなたがたは自分の信じるもののために立ち上らなければならないだろう。この世と私との間で選択しなければならないだろう。あなたがたは、どの言葉に従うか、誰を尊敬するかを選ばなければならなくなる。

そして、その選択の中で、祝福と賜物の時までに成し遂げられなかったことが成し遂げられるであろう。私の霊による洗礼と霊的賜物の満ち溢れによって成し遂げられなかったことは、火の洗礼によって成し遂げられる。火はあなたがたの間を動き回り、もみ殻を焼き尽くす。火はあなたがたの間を個人として、組織として、集団として、世界中で動くであろう。

私は今起こっている状況を許さずにはおかない。賜物と恵みと祝福を不忠実と罪と売春と混ぜ合わせるという姦淫を行うことを私は許さない。私の時は今、あなたがたの間にある。

あなたがたに必要なのは、私の前に進み出て、私の言葉に完全に服従し、私の計画に完全に服従し、この新しい時間において完全に服従することである。あなたがたに必要なのは、自分の物事、過去の物事を捨てることである。あなたがたに必要なのは、この裁きと清めの時に照らして自分自身とあなたがたが責任を持つ人々を見ることである。そのように彼らを見て、彼らが強く立ち、私の忠実な僕として数えられるために、彼らのために何をすれば一番助けとなるかを考えなければならない。

犠牲者が出るだろう。容易ではないが、必要である。私の民は真に私の民でなければならない。私の教会は真に私の教会でなければならない。そして、私の霊は真に清い命を、福音に対する純真で忠実な心をもたらさずにはおかない。」

日本語訳・秋元伸介、小熊晴代

原文リンク: https://www.renewalministries.net/hear-my-word-fr-michael-scanlans-1980-prophecy/

コメントを残す