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マイケル・スキャンラン神父の驚くべき預言ー今日への緊急メッセージ

以下は、Renewal Ministries〔リニューアル・ミニストリーズ〕YouTubeチャンネル で私が今日分かち合った話の全文です 。私たちRenewal Ministriesは、この言葉の重要性と妥当性を考慮し、また私たち自身の生活の中でこのメッセージをどのように生きることを神が望んでおられるかをすべての人が思い巡らす必要を感じたため、この言葉を共有するためにあらゆる利用可能な手段を使用しています。

カトリック・カリスマ刷新の最初の大規模な国際会議が1975年にローマで開催され、閉会ミサのために1万人の人々が聖ペトロ大聖堂に集まったとき、来るべき時について非常に強い預言がいくつか発せられました。その時が来れば従来の社会構造はもう存在せず、主がこの時を使って私たちをご自身とのより深い一致へと引き寄せられる、というものでした。

<写真提供・Renewal Ministries>

一年後、マイケル・スキャンラン神父は別の預言をしました。この記事の最後に預言の全文を掲載してあります。私は最近、新著を執筆するためにいろいろ調べていてスキャンラン神父の1976年の預言を発見したのですが、読んでいて息が止まりそうになりました! それは重要であり、ロックダウン(都市封鎖)や教会に行けないことや経済的困難や社会的不安など、私たちが今体験していることに驚くほど共鳴しているからです。44年前に起きていなかったことが今日起きており、少なくとも部分的には実現しています。その中には少し怖いと感じる部分があるかもしれませんが、怖がらないでください。それは途方もない愛と途方もない希望に導いてくれるのですから。

ここには私たちのための知恵があります。ここには私たちにとって非常に妥当な教えがあります。以下、預言の各部分を見ていき、今日の出来事に照らして、その意味を検討していきます。太字は預言の引用です。

「人の子よ、あの都市が破綻するのを見ているか? あなたのすべての都市が破綻するのを見る覚悟があなたにはあるか? あなたが今頼りにしている経済システム全体が破綻し、金銭がすべて無価値になり、あなたを支えることができなくなるのを見る覚悟はあるか?」

コロナウイルスが本格的に流行し、株式市場が暴落し、米国や世界中で何千万人もの人々が職を失い、減給されたり解雇されたりした時、それはまさに正念場でした。私たちは何を頼りにしているのか、私たちの信頼はどこにあるのかが、問われたのです。

私はYouTubeチャンネルでいくつかビデオを作り、経済について私たちが抱いている不安 、健康について抱いている不安と恐れ について話し、主の約束に私たちの心を再び集中させようと呼びかけました。イエスは、「あなたの富のあるところに、あなたの心もある」(マタイ6・21)と言われます。私は聖フランシスコ・サレジオからも実践的な知恵をいくつか紹介しました。私たちの心がどこにあるかを見る方法、お金に関する不安や恐れにどう対処するか、また、まず神の国を求めるなら私たちに与えられるイエスのとてつもなく素晴らしい約束についてもお伝えしました。

「人の子よ、あなたの都市の大通りや町や施設の中に犯罪や無法を見ているか?」 

ちょうど昨夜のニュースで、私は米国のある町で起こった暴動を見ていました。ここに鍵があります。世界は揺さぶられようとしています。教会は揺さぶられます。揺さぶられるものは何でも揺さぶられる、と『ヘブライ人への手紙』には書かれています 。しかし、預言はこう続きます。

「私が自らあなたに与えようとする法と秩序と保護だけを見る覚悟はあるか?」

主は、私たちが完全な確信をもってご自分のもとに来ることを望んでおられます。まず神の国と神の聖性を求めるなら他のものはすべて加えて与えられるという完全な信頼をもって神のもとに行くのです。この世で生命を維持するために必要な食べ物、飲み物、住居、衣類だけでなく、混乱の中で、法と秩序が崩壊する中で、私たちに必要な保護も主は与えてくださいます。

「人の子よ、あなたが愛し、今祝っている国を、あなたが懐かしく振り返る一国の歴史を、あなたは見ているか?」

スキャンラン神父がこの預言を受けたのは、アメリカ合衆国建国二百周年の時でした。

「私があなたに私の体として与える国々だけを自分の祖国として見る覚悟はあるか?」

私たちの多くは、この国で起こっていることを憂慮しています。米国だけでなく、カナダや西ヨーロッパを含む世界中の多くの国でも同じです。ユダヤ・キリスト教の価値観を踏みにじろうとする攻撃的な世俗主義があり、キリストと教会を敵視し、私たちを罰し、私たちを逮捕し、私たちが社会的エリートに不快なことを言おうものならソーシャルメディアから追い出し、世界を支配して神の言葉を語ってほしくない場所では検閲しようとします。しかし、折が良くても悪くても私たちは神の言葉を宣べ伝える必要があります 。私たちには主の勇気が必要です。主の堅忍が必要です。私たちにはその勇気と堅忍を与えてくださる聖霊が必要であり、まさに今、聖霊との正しい交わりにとどまる必要があるのです。

これらのことはすべて聖書に書かれています! イエスは、この地上に私たちの住まいはなく、この地上に永続する都はないと言われます。使徒たちもそう言っています。「わたしの国は、この世には属していない」(ヨハネ18・36)とイエスは言われます。私たちの都は、すでにキリストの体の内に形成されつつある新しいエルサレムであり、それは終わりの日に天から下って来るのです。私たちが第一とする忠誠の絆、第一の家族は、キリストに結ばれた兄弟たちであることを知る必要があります。これは本当に重要です。

「私の体の中にある命、そこにだけある命を、私があなたにもたらすようにさせてくれるか?」

私たちはご聖体の中にあるキリストの体に目を向けている必要がありますが、互いと自分自身の中にあるキリストの体にも目を向けている必要があります。私はアナーバー市の「王であるキリスト・カトリック教会」に所属していますが、オンラインでミサに与っている間、主任司祭は、第二バチカン公会議ではキリストがご自分の民に現存される4つの方法について語られていると何度も説明してくれました。その4つとは、
1. 非常に特別な方法でご聖体の内に。
2. 司祭の人格の内に。
3. 神の言葉の内に。
4. キリストの体である私たちの体の内に。

『コリントの信徒への手紙一』6章には、私たちはイエスと共に一つの体、一つの霊であると書かれています。私たちは互いが同じ体の部分なのです。パウロがダマスコに向かう途中で回心したとき、天から彼に話しかけられた声は、「サウル、サウル、なぜ、わたしを迫害するのか」と言いました。サウルはキリスト者たちを迫害していました。サウルはキリストの体を迫害していたのです。イエスは、ご自身を私たちと同一視されます。イエスは、私たちの内に宿っておられる父と子と聖霊と一つです。私たちはこのことを宝として心に納め、大切にしなければなりません。もしある時、再びご聖体から切り離され、再び教会、物理的な教会から切り離されたとしても、私たちは覚えておく必要があります。イエスは私たちと共におられます。イエスは非常に強力な方法で御言葉の内におられ、互いの内におられ、そして私たちの魂を住まいとされる三位一体の内におられるのです。

「人の子よ、今は気軽に行けるあれらの教会が見えるか? 扉にかんぬきが渡され、釘が打ち付けられて閉鎖された教会を見る準備ができているか? 自分の人生をどんな特定の構造物にも頼らず、私だけに頼る準備ができているか?」 

私たちは自分の教会を愛しています。教会の建物を愛しています。何世代にもわたって家族が特定の教会に通っている人もいます。しかし、先進国の至る所で教会は閉鎖されつつあります。神に感謝、まだ閉鎖されていない教会と学校はありますが、多くの人にはカトリック学校に通う余裕がありません。カトリックの学校数は今でも以前よりはるかに少ないですが、さらに少なくなる時代に私たちは備えなければなりません。教会の建物も、今でさえ以前よりはるかに少ないですが、さらに少なくなる時代に備えておく必要があります。もうすぐやって来るその時に備えていなければなりません。それが災害によって来るにしてもそうでないとしても、世界で起こっていること、教会で起こっていることによって、確実に来るのです。それは来ています。私たちは、建物に依存せず、毎日私たちと共におられる主ご自身を私たちの生活の中心に改めて置く必要があります。教会の建物がまだそこにあることを感謝しましょう。私たちがそこでまだミサに与ることができる、このとても特別な祝福を感謝しましょう。しかし、キリストの体がご聖体だけに限定されていないことを私たちは忘れてはなりません。キリストの体は、主に結ばれた私たちの兄弟姉妹でもあるのです。

「私だけを頼りにし、あなたが一生懸命働いて育んできた学校や小教区などあらゆる施設に頼らない準備があなたにはできているか? 人の子よ、その準備ができている者であるようにと私はあなたを呼んでいる。」

私たちはその準備をする機会を与えられています。最近の教会の閉鎖や経済の混乱は短期間ではありましたが、小さな警告が与えられていたのかもしれません。いわゆる威嚇射撃のような小さな警告です。世界の構造は安定していません。

「それこそ、私があなたに伝えていることである。世の仕組みは崩壊し、変化している。今、あなたが詳細を知る必要はない。しかし、今までのようにそれらに頼ってはならない。あなたがたは皆、お互いにもっと深く献身してほしい。」

私たちは、近所のキリスト者同士で会う必要があります。職場でも、仲間のキリスト者に会う必要があります。キリストに結ばれた兄弟姉妹として私たちは共につながり始める必要があります。私たちは、カトリック教会が最初に持っていたような小さな家庭教会を持っている必要があります。カトリック教会が最初の300年間持っていたのは、そのような教会でした。家庭で兄弟姉妹が小さなグループとして集まっていたのです。迫害が終わるまではそれが教会の姿でした。私たちは再びこのような家庭教会を建て始めなければなりません。近所の人々との関係を築くことを始めなければなりません。イエスに結ばれた兄弟姉妹が誰なのかを知り、それ以外の方法では集まれない時に備えなければなりません。

「あなたがたには、互いに信頼し合い、私の霊に基づく相互依存関係を築いてほしい。この相互依存は贅沢品ではない。異教の世界の構造ではなく、私の上に自分の人生を築く人々にとって、それは絶対必需品である。」

私たちの文化の中でキリストを閉鎖しようとし、教会を敵視し、キリスト者を敵視し、神の言葉を敵視する世俗化の来るべき猛攻を生き延びようとしているのであれば、これは選択肢の一つではありません。キリストに結ばれた兄弟姉妹とつながっていることは、贅沢ではありません。イエスがここで言われているように、それは必須なのです。

「私は語った。そしてそれは起こる。私の言葉は私の民に伝えられる。彼らは聞くかもしれないし、聞かないかもしれない。私は各自の応答に従って応える。しかし、これが私の言葉である。」

聖書でもイエスは言っておられます、天地が消え失せるまでご自身の言葉から一点一画も消え去ることはない、と(マタイ5・18参照) 。

「人の子よ、自分の周りを見なさい。すべてが閉ざされるのを見るとき、当たり前だと思っていたものがすべて取り除かれるのを見るとき、そしてこれらのものなしで生きる準備ができているとき、そのとき、あなたはわたしが何を準備しているのかを知ることになるだろう。」

私たちは、すべてが閉鎖されるのを見たばかりです。まるで主が、「あながたがたにしるしが与えられるであろう」と言っておられたかのようです。そのしるしは44年間も起こりませんでしたが、今起こったのです。

あなたが準備できているなら、自分の生活でイエスを第一に置き、キリストに結ばれた兄弟姉妹を求め、互いに真の交わりを始めることで警告に応えているなら、警告はこう言います。「そのとき、あなたはわたしが何を準備しているのかを知ることになるだろう。」

ここで語られていることはすべて、神の愛によるものです。魂を目覚めさせるためには何が必要でしょうか? 私たちの自己満足や生温さ、神の物事への無関心、世俗性から私たちを揺り動かし、イエスに私たちの人生を再び集中させるためには何が必要となるでしょうか?

私たちが互いに交わりを保ち、敵対する環境の中でイエスの証人となるためには何が必要でしょうか? どうすればいいのでしょうか?

主は、できるだけ多くの人を目覚めさせるために必要なことをしてくださいます。ある者は注意を払い、ある者は耳を傾け、ある者は目を覚まし、ある者は準備を整えるでしょう。そして、そうしない者もいるでしょう。私たちが神の言葉に応えるか応えないかによって、結果は大きく異なるでしょう。こう言っているのはこの預言だけではなく、聖書も同じです。この預言は、聖書の中で常に語られている警告を現在にもたらしているにすぎません。イエスは、主人が帰って来る時に眠っていてはいけない、と言われます(マルコ13・35-36)。「主よ、主よ」と言う者が皆、神の国に入れるわけではなく、神の御心を行う者だけが入るのです(マタイ7・21)。

扉は、ある時に閉まってしまいます。恵みと憐れみの扉は主が再び来られる時に閉まり、恵みと憐れみに応えた者たちは御父の国に迎え入れられます。預言の警告に注意を払わなかった者、預言のしるしに注意を払わなかった者は、外に取り残されます。そこで彼らは嘆き、泣きわめき、歯ぎしりするでしょう。扉は閉まるのです。準備をしなさい。

マイケル・スキャンラン神父のこの預言で主は私たちに憐れみを示しておられる、と私は信じています。私たちの時代に成就しつつある預言だと思っています。私たちはこの預言を真剣に受け止めなければなりません。私たちは恐れの中で生きるのではなく、不安の中で生きるのでもなく、神の息子や娘たちの栄光ある自由の中で生きる必要があります。神の息子や娘たちは、御父に愛されていることを知っており、御父が摂理によって守ってくださり、何が起きても必ずそこから益をもたらし私たちを守ってくださると知っています。 ですから、兄弟姉妹の皆さん、私はこの言葉にワクワクしています。それは今日のための言葉、今の私たちのための言葉だと思います。それは、イエスや使徒たちが二千年も前から言っていることと何ら変わりません。目を覚ます時が来ました。お互いに歩み寄る時が来ました。外的なものに頼るのではなく、主ご自身に頼る時が来たのです。

主よ、預言の賜物が今日の教会で生きて働いていることを感謝します。マイケル・スキャンラン神父を与えてくださり、感謝します。私たちがこれらのことを一緒に話し、励まし合い、互いに高め合う機会を与えてくださり、感謝します。

マイケル・スキャンラン神父の1976年の預言

人の子よ、あの都市が破綻するのを見ているか? あなたのすべての都市が破綻するのを見る覚悟があなたにはあるか? あなたが今頼りにしている経済システム全体が破綻し、金銭がすべて無価値になり、あなたを支えることができなくなるのを見る覚悟はあるか?

人の子よ、あなたの都市の大通りや町や施設の中に犯罪や無法を見ているか? 私が自らあなたに与えようとする法と秩序と保護だけを見る覚悟はあるか?

人の子よ、あなたが愛し、今祝っている国を、あなたが懐かしく振り返る一国の歴史を、あなたは見ているか? 私があなたに私の体として与える国々だけを自分の祖国として見る覚悟はあるか? 私の体の中にある命、そこにだけある命を、私があなたにもたらすようにさせてくれるか?

人の子よ、今は気軽に行けるあれらの教会が見えるか? 扉にかんぬきが渡され、釘が打ち付けられて閉鎖された教会を見る準備ができているか? 自分の人生をどんな特定の構造物にも頼らず、私だけに頼る準備ができているか? 私だけを頼りにし、あなたが一生懸命働いて育んできた学校や小教区などあらゆる施設に頼らない準備があなたにはできているか?

人の子よ、その準備ができている者であるようにと私はあなたを呼んでいる。それこそ、私があなたに伝えていることである。世の仕組みは崩壊し、変化している。今、あなたが詳細を知る必要はない。しかし、今までのようにそれらに頼ってはならない。あなたがたは皆、お互いにもっと深く献身してほしい。あなたがたには、互いに信頼し合い、私の霊に基づく相互依存関係を築いてほしい。この相互依存は贅沢品ではない。異教の世界の構造ではなく、私の上に自分の人生を築く人々にとって、それは絶対必要なものである。私は語った。そしてそれは起こる。私の言葉は私の民に伝えられる。彼らは聞くかもしれないし、聞かないかもしれない。私は各自の応答に従って応える。しかし、これが私の言葉である。

人の子よ、自分の周りを見なさい。すべてが閉ざされるのを見るとき、当たり前だと思っていたものがすべて取り除かれるのを見るとき、そしてこれらのものなしで生きる準備ができているとき、そのとき、あなたはわたしが何を準備しているのかを知ることになるだろう。


[訳注](全て著者の許可を得たうえで作成した。)
1 マイケル・スキャンラン神父Fr. Michael Scanlan, TOR (フランシスコ会律修第三会)、1931-2017。ハーバード大学法科大学院修了。1964年司祭叙階。1975年-2000年、オハイオ州Franciscan University of Steubenvilleの学長、2000年-2011年、同大学総長を務める。大会講師、黙想指導、著作、T V司会などを通して世界中で福音を宣べ伝えた。
2 ラルフ・マーティンDr. Ralph MartinはRenewal Ministriesの創立者・会長。教皇庁立聖トマス大学(ローマ)で神学博士号取得。教皇ベネディクト16世より新福音化推進評議会の相談役、新福音化に関するシノドス(世界代表司教会議)の神学専門家に指名される。現在はミシガン州デトロイト大司教区の神学校大学院で新福音化プログラムの主任及び神学教授。妻のアンと共にミシガン州アナーバー市に在住。6人の子供と16人の孫に恵まれる。

[情報源] https://www.youtube.com/renewalministriesrm 動画 https://www.youtube.com/watch?v=2XnxThW3wq0
英語原文 https://www.renewalministries.net/wordpress/fr-michael-scanlans-amazing-prophecy-an-urgent-message-for-today/

[日本語訳および訳注・小熊晴代]

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